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新刊紹介 池谷信之著『黒曜石考古学』 その4 [旧石器]

3 本書の評価

306頁にも及ぶ本書『黒曜石考古学』は、後期旧石器時代初頭から弥生時代中期後葉までの東海地方から関東・中部地方までの「石器時代」を黒曜石原産地推定によって明らかにする社会構造とその変化を叙述したものとして高く評価される著作である。

これまでの先史考古学の分野では、石器文化としての統一的な視点で弥生時代までを射程に置いた研究はなく、その点でも極めて重要な研究書であると考える。筆者を含めて、多くの石器研究者は、対象とする、あるいは得意とする時期や地域が限定的になりがちであり、池谷氏のような広い対象範囲と弥生時代までという長い時間幅を扱うことができる研究者はほとんどいないといっても過言ではない。そして、自らが考古学的な課題を設定し、その課題を克服するために「大衆車なら2台は買える」蛍光X線分析装置を購入し、黒曜石原産地推定分析を自ら行う研究スタイル、そのことを実践しているその情熱に敬意を表したい。

さて、池谷氏はもともと縄文時代の研究者として知られ、1980年代以降こうした研究を多く発表しているが、1980年代後半より自らが調査した愛鷹山麓の旧石器時代石器群の報告を行う中で、旧石器時代にも研究の対象を広げていったものと推察される。そして、土手上遺跡という環状ブロック群の報告に際し、その類まれな考古学的センスは、望月明彦氏との共同研究として、黒曜石産地推定の「全点分析」の開拓へと花開くことになる。この論文の与えた当時の旧石器学界に与えたインパクトは大きく、評者は強く印象に残っている。1990年代初頭までは、黒曜石産地推定分析は、個体別資料として分類した石器を数点分析に出す程度が一般的で、100点以上の分析は考えられない状況であった。それが、一石器群(文化層)の黒曜石製石器の全点を産地分析したことだけでも、驚きであったのに、分析した原産地別の資料を平面分布として検討することにより、環状ブロック群の成り立ちが理解できるという素晴らしい成果として、我々の前に提示されたからである。そこで示された、「黒曜石原産地判別図」(図2-15)の提示によって誰もが視覚的に理解しやすく多くの研究者に受け入れられることになったといえる。

この論文発表後は、望月氏の研究室では、愛鷹・箱根山麓の旧石器時代の黒曜石の多くが産地分析され、大きな成果をあげていることは周知のとおりである。評者らも神奈川県柏ケ谷長ヲサ遺跡の2000点を超える全ての黒曜石原産地分析を望月氏に依頼し、相模野台地B2層に出土する段階Ⅴ石器群は、箱根畑宿産と天城柏峠産が主体で、信州系黒曜石はほとんど供給されていないことが明らかにされ(望月1997)、その後の領域研究に大きな影響を与えている。以来、望月研究室では年間10,000点を超える分析依頼を受け、10年以上が過ぎた今日では、関東・中部地方の多くの遺跡で黒曜石原産地が明らかになり、各地の石材研究の推進に大きく貢献したといえる。

 本書で示された「黒曜石考古学」の実践が旧石器時代にとどまらず、縄文時代、弥生時代までと黒曜石利用の最初から最後まで一貫した記述が行われている。ここでは論評しないが、縄文時代の時期を追って黒曜石原産地の変化と採掘行為との関係を明らかにしたことや信州系黒曜石と神津島産黒曜石の利用からみた社会構造の変化など、弥生時代中期後葉における石鏃製作の終焉から「縄文時代的石器製作体系の解体」と「弥生化」の進行を明らかにしたこともこれまでの土器と石器の型式的研究だけでは成し得なかった「黒曜石考古学」の可能性を十分に示している。      池谷氏によって示された旧石器時代から弥生時代までの歴史叙述をどのように受け止め、それぞれの研究に組み入れるかは筆者を含む多くの石器研究者の課題であろう。 筆者としては、池谷氏によって明らかにされた愛鷹・箱根山麓の石材利用の地域的な特徴と相模野台地との類似性と差異性を検討し、それぞれの地域集団の具体的な生業活動や行動領域に迫ってみたいと考える。

池谷氏とは、大学は異なるものの1学年先輩であり、学生時代から親しくさせていただき、常に研究上の刺激を与えていただいている。1995年に開催されたシンポジウム「愛鷹・箱根山麓の旧石器編年」の際にご自宅に故織笠昭さん、織笠明子さんと宿泊させていただき、4人で愛鷹山麓の旧石器研究の重要性や黒曜石産地分析研究の可能性について、熱く語った想い出がある。このシンポジウム以来、編年的に確立した愛鷹・箱根山麓の旧石器時代石器群の研究と同時進行で進んできた黒曜石産地分析による研究はともにますます重要性が高まっている。

本書の刊行によって「黒曜石考古学」研究の可能性と必要性が広く認識されることは間違いない。池谷氏の「黒曜石考古学」の開拓者として今後のますますの活躍を期待するとともに、本書が多くの研究者、市民に読まれることを祈念する。

 

安蒜政雄 2003「黒耀石と考古学-黒曜石考古学の成り立ち」『駿台史学』117

川口潤 2003「北海道北部地域の細石刃文化」『シンポジウム日本の細石刃文化Ⅰ』八ヶ岳旧石器研究グループ

望月明彦 1997「蛍光X線分析による柏ケ谷長ヲサ遺跡出土の黒曜石製石器の産地推定」『柏ケ谷長ヲサ遺跡』柏ヶ谷長ヲサ遺跡調査団 

完結

掲載文献諏訪間 順 2009「新刊・論文紹介 池谷信之著『黒曜石考古学-産地推定が明らかにする社会構造とその変化-』 」『長野県考古学会誌』128 長野県考古学会 
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