SSブログ

港川人の顔立ち復元 [旧石器]

朝日新聞の渡辺さんの取材記事が掲載されました。昨日もシンポジウムに参加されていましたが、この記事のことをうかがっていました。

この復元図の話は、先日のOIS3シンポでの海部さんの講演でも紹介されていたもので、日本人とは何?。日本列島という範囲、日本という範囲、いろいろと考えさせられます。 

 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201006280113.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

朝日新聞 朝刊

港川人、縄文人と似ず 顔立ち復元、独自の集団か
                        2010年6月28日10時46分
 

  
TKY201006280112.jpg

新しい研究をもとに、国立科学博物館が作り直した港川人の復元図

国立科学博物館に展示されている港川人の復元像。縄文人の祖先と考えられたので、日本人の雰囲気だ沖縄で見つかった旧石器時代の人骨「港川人」の再調査を進めている国立科学博物館(科博)が、顔立ちの復元図=写真上、科博提供=を作り直した。縄文人の祖先とされてきた従来のイメージ=写真下=から大きく変わり、オーストラリアの先住民といった雰囲気だ。

 港川人は1967~76年に沖縄本島南端の石切り場で見つかった。5~9体分の人骨と考えられ、出土地層は約2万年前と推定されている。全身の骨格と顔面が残っている旧石器時代の人骨は、日本ではその後も発見はない。

 顔の彫りが深く、手足が長いといった港川人の特徴が、縄文人によく似ていることから、縄文人の祖先は南から渡ってきたとの考えの大きな根拠となってきた。その縄文人に大陸から渡ってきた弥生人が融合して日本人が形成されたと考えられてきた。科博はそうした日本人形成論の再検討に取り組んでおり、その一環として港川人を再調査してきた。

 CTなど最新の技術で調べると、発見当初の復元にゆがみが見つかった。下あごが本来はほっそりとしており、そのゆがみを取り除くと、横に広い縄文人の顔立ちと相当に違っている。現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近い。

 縄文時代の人骨は、列島の北から南まで顔立ちや骨格が似ていることから、縄文人は均質な存在と考えられてきた。だが、縄文人の遺伝子を分析した結果、シベリアなど北回りの集団、朝鮮半島経由の集団など多様なルーツのあることが見えてきた。

 新たな復元図は、そうした研究を総合したものだ。科博の海部陽介研究主幹は「港川人は本土の縄文人とは異なる集団だったようだ。港川人は5万~1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布していた集団から由来した可能性が高い」と語った。その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団はオーストラリアなどに限定されたと考えることができそうだ。(渡辺延志)

TKY201006280109.jpg

国立科学博物館に展示されている港川人の復元像。

縄文人の祖先と考えられたので、日本人の雰囲気だ


nice!(17)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 17

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

きゅうりの収穫日本旧石器学会1日目 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。