小田原城下・本町遺跡の調査 [中近世・城郭]
数年前と異なり、小田原城関係の発掘調査も少なくなっていますが、
現在は、三の丸武家屋敷地の市民ホール建設予定地の発掘調査と
城下町の本町遺跡の調査が行われています。
場所は、国道1号の南側、小伊勢やさんの西隣に位置します。
戦国から近世の遺構が重複して検出されていますが、
この場所では、方形竪穴遺構が多く検出されています。
1辺が2-4mの竪穴ですが、玉石積みによって構築されています。
写真の遺構は、底面にも石敷きになっているもので、
小田原では比較的珍しいものです。
東海道筋の遺跡では、焼け土の層が検出されることが多いのですが、
これまでに、永禄4年(1661)の上杉謙信(長尾景虎)の来攻に伴う焼土の可能性が指摘されるもの、寛永10年(1633)の寛永地震の焼土、元禄16年(1703)の元禄地震の焼土などがあります。
今回の調査でも何枚か焼土が確認されているので、今後の調査の進展によって、明らかにされることでしょう。
方形竪穴遺構からは遺構によっては大量の遺物が出土することがあります。
廃絶に伴って、陶磁器などが投棄されるような状況の場合は、年代的にも絞り込めるので、良好な資料となります。
この陶磁器は、通称「うなぎいぬ」と呼んでいる文様の中国産明代の染付皿です。完形品です。
年代は16世紀末から17世紀初頭の製品でしょうか。
一緒に、志野や唐津も出土しているので、1630年前後の廃絶年代と推定される遺構です。
寛永10年の地震で廃絶された遺構の可能性があるのではと思いますがいかがでしょうか?
江戸時代ですと宿場町の中心部、本陣や旅籠などあった場所ですよね。
方形竪穴遺構の画像を見てお風呂かなと思っちゃいました。
どうやって湯抜きをするのかなと想像しました。
実際何に使われていたのでしょうか?
『うなぎいぬ』可愛いです。
by yanya (2011-08-23 19:26)
yanya さん、方形竪穴遺構って、半地下式の倉庫が有力ですが、明確にはなっていないようです。
この遺構は、近世の町名でいえば、欄干橋町、本町あたりに濃密に分布しています。また、現在調査中の三の丸杉浦平太夫邸跡でもたくさん検出されています。何に使われたのでしょうねぇ。
by ジュンクワ (2011-08-23 22:38)
半地下倉庫で考えると、
漬物などの食品を保存する冷蔵庫の代わりのようなものか、
火事を想定して貴重品などを保管する金庫のようなものかなぁ~と。
でも蔵は別にあったでしょうけど。
時代劇でこっそり床板を取って小判が入っている瓶があったり、
へそくりを隠してたとかいうシーンを思い浮かべました。
東京や川越あたりでも検出されてるんでしょうかねぇ?
by yanya (2011-08-23 23:58)
方形竪穴遺構は鎌倉で鎌倉時代の遺構が数多く検出されています。
詳しく調べたことはないですが、中世から近世にかけて、どこの遺跡でも発見されていると思います。
by ジュンクワ (2011-08-25 22:37)
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by Привет https://apple.com (2021-04-26 17:41)