史跡小田原城跡御用米曲輪の発掘調査現場見学会は明日です。 [中近世・城郭]
8月18日は御用米曲輪の見学会があります。
昨日、記者発表があり、戦国時代の礎石建物の検出が発表され、
本日の東京新聞、読売新聞に掲載されました。
東京新聞記事
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20120817/CK2012081702000097.html
他社さんも明日の朝刊には掲載してくれることでしょう。
ということで、明日の見学会は近世の米蔵遺構、近世の瓦積土塀、戦国の礎石建物などが見学できます。
小田原市HP 見学会のお知らせ
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/lifelong/property/shisekinoseibi/goyomaikuruwa-c.html
8月18日は10時から16時まで出入り自由、10時、13時、15時の3回
調査担当者による説明があるということです。
こちらが戦国期の礎石
その部分の説明です。焼土があり、それが永禄12年の武田信玄に
よる放火の痕跡の可能性が指摘されています。
たしかに礎石の周りには焼土が明瞭に認められます。
高所作業車からの写真
手前が礎石建物です。礎石のいくつかは原位置を離れているので並びが雑然としていませんが、
きちんと半間(約95cm前後)ごとに礎石が並んでいます。
礎石建物の検出は小田原では初めてです。
これまで小田原城で検出された建物は、掘建柱建物がほとんどで、柱穴の底部に根石を
置くもの占められていました。
今回の調査で礎石間の寸法は約189cm、一間は6尺2寸5分前後であることが確認できjました。
これは八王子城の御主殿 ともほぼ共通する寸法になるようです。
この6尺2寸5分という1間の寸法は、北条領国の基準であん「小田原間」で
あった可能性があります。
この寸法でこれまでの様々な遺構の割り返しをすると、
いろいろと見えてくるものがあることでしょう。
こちらは瓦積土塀の側面の写真
明日はこちらの遺構も見ることができます。
天気が少し不安ですが、荒天にならなければ開催とのこと
是非、ご自身の目でご覧ください。
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