肥前名護屋城 九州旅行25 [中近世・城郭]
呼子の河太郎の後は、肥前名護屋城に行きました。
まずは、肥前名護屋城博物館をの見学です。
残された絵図や絵画によると肥前名護屋城が陣城の域を超えたとてつもない
城郭であり、周囲に展開する陣城群の規模も数も呆れるほどであったことが
理解できます。
博物館の背後には、木下延俊陣跡があり、見学しました。
ここは、樹木を伐採しないでの整備なので鬱蒼とした感じでした。
いよいよ肥前名護屋城へ向かいます。
清掃協力費を100円払い入場します。
ちょうどガイドさんがいられたので、ガイドをお願いしました。
まずは全体図の前で、説明を受けます。
それにしても石垣の残りは良いですね。
石垣山城は関東大震災で崩落しているのと比べると大違いです。
それでも日当たりのよい場所の石垣の管理はされているのでしよう。
やはり、草がかなり生えている場所もありました。
名護屋城の石垣は矢穴がかなりの数あります。
天正18年とその直後の文禄期の2~3年で、矢穴を持ちた石割の技術が
急速に発達したことを感じます。石垣山には矢穴は一つもありません。
名護屋城からは玄界灘が一望できますが、至近距離に玄海原発もあります。
本丸の調査も進み、建物跡の表面表示による整備が進んでいました。
ただ、建物復元はないので、石垣と表面表示だけの整備だと、一般の観光客には
なかなか城の構造などの理解は難しいように感じました。
城好きにとっては、まったく別の見方のあるでしょうが・・・。
名護屋城の見学の後、近くにある道の駅によって休憩、
この日もとても暑かったです。
かき氷ソフトを注文、スイカのソフトをたのんだのに甘夏のソフトがかかっており、
結局、2つの味を楽しめました。
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