3月7日 御用米曲輪見学会 その2 [中近世・城郭]
御用米曲輪見学会その2です。
今回の調査成果はいくつかありますが、
その1として、寛永地震の地割跡が検出されたことです。
小田原は、寛永、元禄、天明、天保、嘉永、大正とそれぞれ大地震によって、
城と城下は大変な被害に見舞われています。
天正期の硬化面に残された明瞭な地割れです。
硬化面の直上には、近世初頭の瓦や登り窯の陶器が出土していることから、
17世紀初頭以降の地震による地割れと考えられます。
そして、この硬化面で検出された地割れはその上層を覆うロームブロック層
までは到達していないことが確認されています。
上の写真の断面には地割れがロームブロック層まで到達していないことがわかります。
したがって、この地割れは寛永10年(1633)1月21日M7.1の巨大地震によって、形成された
地割れ跡と考えられます。
かなり硬い硬化面であったことから、明確な地割れ痕跡が残されたものです。
この地震後に稲葉氏によって小田原城の大規模な近世化工事が進められ、
現在知られる近世の縄張に改変されました。
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