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小田原城八幡山古郭毒榎平北堀見学会7/23日開催 [中近世・城郭]

小田原市城山陸上競技場内での発掘調査手で戦国時代小田原北条氏の
構築した大規模な堀が確認されました。

八幡山丘陵と谷津丘陵の間の谷地形の最深部、戦国時代には御前曲輪
と呼ばれていた場所を区画する位置にあった堀。

堀の確認面は東京軽石層の火砕流なので、さらにこの上には10m以上
の堆積があったはず、深さは20mは超える深さであったと推定されます。

見学日は23日のみですので、この機会をお見逃しなく。

すぐ近くの小峯御鐘の台大堀切西堀とあわせて見学してはいかがでしょうか?

http://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/lifelong/property/topics/kenngakukai160723.html

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城山陸上競技場改修工事に伴う埋蔵文化財発掘調査(小田原城八幡山古郭毒榎平北堀(おだわらじょうはちまんやまこかくどくえだいらきたぼり)第1地点)は、平成28613日(月)から実施していますが、ここでは小田原城八幡山古郭の三の丸外郭(さんのまるがいかく)である毒榎平北堀が初めて発見されました。


この堀は、三の丸に相当する毒榎平(城山公園周辺)を守る目的で構築され、堀の北側(現在の城山陸上競技場)に存在する御前曲輪(ごぜんくるわ)との境界にもなっています。

発見されたのは、毒榎平北堀の西側法面および底面です。

堀は、幅13m以上(推定22m)、深さは確認された面から9mを測る大規模なものでした。

出土した遺物はありませんでしたが、戦国時代に小田原北条氏が構築した堀と推定されます。

以上の成果が得られたことから、発掘調査見学会を下記のとおり開催します。


 発見された遺跡の内容について調査担当者が説明しますので、ふるって御参加ください。

日時  平成28723日(土)午前900分~正午まで(小雨決行)


場所 小田原市城山二丁目29番地の1 城山陸上競技場内  小田原駅西口から徒歩約15


※事前申し込みは不要です。直接現地においでください。(参加費無料)

※当日は、城山陸上競技場で大会が行われるため、駐車場が利用できません。
 お車でのご来場はご遠慮ください。






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コメント 1

ハマコウ

大きな堀なのですね。
20mの深さとは驚きました。

by ハマコウ (2016-07-23 05:29) 

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