2010年を振り返って [雑記]
あっという間に2010年が終わろうとしています。
ブログをご覧の皆さんはどのような一年だったのでしょうか?
今年を振り返ると実に様々な出来事がありました。
個人的には初めて異動を経験し、新しい職場に移ったことで、 生活のリズムがうまく作れないままに9カ月が過ぎてしまいました。
天守閣での学芸員としては、特別展などをこなしましたが、 十分な仕事ができまかったことが反省点として残ります。
今年は、次に挙げる研究活動を行いました。 ざっと挙げてみます。
1月21日~23日 第7回全国城跡等石垣整備調査研究会において、発表
1月30日 シンポジウム「足柄平野の古墳出現期」において、趣旨説明・司会
3月7日 神奈川県考古学会考古学講座「旧石器時代のムラと住まいを探る」発表
5月1日・2日 シンポジウム「黒曜石が開く人類社会の交流」発表
6月5・6日 シンポジウム 「日本列島における酸素同位体ステージ3の古環境と現代人的行動の起源
」司会 6月26・27日 日本旧石器学会 シンポジウム「旧石器時代研究の諸問題-列島最古の旧石器を探る-」発表 この他に、講演を何本かやらせていただきました。
後半は、学会活動は低調でしたが、10月にはAPA韓国大会に参加する機会を得て、韓国の研究現状を把握することができ、来年の日本大会の参考になりました。 後半の大きな出来事は、小田原城の植栽管理計画に関して、様々な問題がでて、その対応に追われたことです。 ようやく、先日、植栽専門部会が発足し、「史跡の緑の共生」の方向で、第一歩を動き出すことができました。
家庭的には、長女は秋田の大学で忙しく過ごしているようで、来年は1年間の留学に行くようです。 次女は大学生になり、祖母のいる東京から通学となり、家を離れたことはさみしいことでした。 長男は地元の高校でサッカー三昧、次男は中学2年という難しい年頃ですが、生徒会や陸上部など充実した学生生活を送っているようです。今のところ、とりあえず、みんな元気でやっているので良しとしましょう。
このブログでも実に様々な話題を提供させていただきましたが、以外の食いしん坊ネタが好評でした。 来年もあちこち食べ歩き、ブログに掲載したいと思います。
ということで、今年一年このブログを訪問いただき感謝します。 良いお年をお迎えください。
映画「降りてゆく生き方」 [雑記]
映画「降りてゆく生き方」(主演:武田鉄矢、監督:倉貫健二郎)の
神奈川県(小田原市)での初上映が決定いたしました!
私の友人でもある考古学者 苅谷俊介さんも出演しています。
http://www.nippon-p.org/blog/2010/09/_in_70.html
西伊豆 土肥温泉の「弁天の湯」 [雑記]
少し前の話ですが伊豆旅行で土肥温泉の「弁天の湯」に入りました。
500円とお安いのがグットです。
http://homepage2.nifty.com/koaji/onsenjouhou/nishiizu/benten.htm
外観
海で焼けた肌には熱く感じましたが、さっぱりしました。
酒匂川花火大会 [雑記]
地球最古の恐竜展 [雑記]
六本木ヒルズへ「地球最古の恐竜展」へ行ってきました。http://www.roppongihills.com/feature/dinosaurs/03.html
さすがはNHKです。お金のかけ方違います。
映像とセットの展示のあり方はハレパネ手作りの展示とは全く違うものですね。
いったい、いくらかかっているのか知りたいところです。
トレハカルタ [雑記]
先月、山手線でとった写真
トレハロースは、クワガタの菌糸ビン作成の添加剤としての認識しかありませんが・・・
以前は、こちらで使っていましたが、適当飼育のため大きいサイズは出ませんでした。
https://www.tsukiyono.co.jp/stag/shop/shop.cgi?ph=1&line_start=0&category=8
トレハカルタで検索すると
小田原の海 御幸の浜 [雑記]
小田原の海といえば、御幸の浜
子供の頃はよく海水浴に来たものです。先日、15年ぶりくらいに行き機会がありました。
写真は御幸の浜から少しに市にいった場所から撮りました。
今年は細かい砂が入れられてきれいな砂浜になっています。西湘バイパスの下に海の家があります。
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/Leisure/Park/miyuki.html
御幸の浜は、明治6年(1873)、明治天皇と皇后がおそろいで、当海浜において、漁夫の地引網をご覧になり、以来、「御幸の浜」と呼ばれるようになりました。
御幸の浜海岸は、景色が良く、伊豆半島や三浦・房総半島も見渡せ、海辺の散策などが楽しめます。
夏には海水浴も楽しめ、元旦(1月1日)には、初日の出にあわせて新春初泳ぎも行われます。
交 通 小田原駅から徒歩 約15分
緊急のお知らせ [雑記]
数日前から自宅のパソコンでメールが送信できません。
受信はできており、内容の把握はできているのですが、
どうしても送ることができません。
至急の連絡は、職場のアドレスか電話でお願いします。
久々の休日 [雑記]
ここのところ土日出勤が続いていたので、本日は久々の休日でした。
昼間は、銀行に行き、買い物をして、車の修理を依頼し、接骨院に行き、さらにホームセンターで野菜の苗とマルチを購入し、夕方、野菜と以前にまいてあった枝豆を植えました。
夕方は、部活から帰ってきた次男を待って、夕食、そして、長男の帰宅、夕食まで食卓にいました。何と久しぶりの感じです。
明日から、いくつかの原稿に本格的な取り掛かります。それぞれの皆様、ご迷惑をおかけしますがお待ちください。
20万アクセス [雑記]
気がついたら20万アクセスを超えていました。現在202000カウントですので、腰痛で寝込んでいた5月6日頃に20万を超えたものと思います。
休日など時間がある時に3~4日分の記事を書き、予約投稿をしているのですが、時々ネタがなくなります。旧石器の記事、小田原城の記事、そして、田んぼや畑の記事など話題が分散しているので読者には読みづらいブロクだと思いますがこれからもご愛顧のほどよろしくお願いします。
雪村周継筆「竜虎図屏風」の複製品の展示 [雑記]
小田原城天守閣では、雪村周継(せっそんしゅうけい)筆「竜虎図屏風」の複製品を、期間限定で展示しています。
とても大きな作品です。期間がありませんが、是非、ご覧ください。
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小田原市HPより
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/Leisure/Castle/sesson.html
この「竜虎図屏風」複製品は、米国クリーブランド美術館の所蔵品を、財団法人京都文化協会とキャノン株式会社が共同で実施した「綴(つづり)プロジェクト(正式名称:文化財未来継承プロジェクト)」事業のひとつとして複製製作したもので、その後、雪村ゆかりの早雲寺に寄贈されたものです。
今回、各地での展示に先立ち、「いち早く地元において広く公開したい」との早雲寺住職千代田紹禎(じょうてい)様のご意向もあり、「小田原北條五代祭り」にあわせて小田原城天守閣で展示することとなりました。この機会に、ぜひご覧ください。
1 展示期間 平成22年5月3日(祝)~5月9日(日)
2 会 場 小田原城天守閣3階展示室内
3 概要
「竜虎図屏風」複製品
雪村周継(せっそんしゅうけい)筆
時代:室町時代・16世紀
材質:和紙に印刷
員数:六曲一双屏風
寸法:各隻 縦157.2×横339.0cm
※天守閣の入場には、入場料がかかります。
↑雪村周継筆「竜虎図屏風」
【雪村周継について】
永正元年(1504)頃~天正17年(1589)頃(生没年不詳)。絵師で僧侶。常陸国生まれ。50代半ば頃関東各地を放浪。天文頃(1550年代頃)に鎌倉や小田原を訪れ、小田原での活動中に本作品を描いた。早雲寺開山「以天宗清(いてんそうせい)像」(京都龍泉庵蔵)は雪村が描いたもので、天文19年(1550)の自讃がある。また、雪村筆の「破墨山水図」(個人蔵)には同寺2世の大室宗碩(だいしつそうせき)が着讃している。そもそも雪村は臨済宗夢窓派の禅僧で、早雲寺ともつながりがある。なおその後の活動の拠点は奥州であり、陸奥国三春で没したとされる。
関東水墨画の中でも極めて独自性の強い画風を確立し、また、この時期の画家としては残存作品が多い。後に尾形光琳は雪村の模写をいくつも試みている。雪舟とは師弟関係はなく、画風も全く異なる。
代表作 重文「風濤図」(野村美術館)、重文「花鳥図屏風」(大和文華館)、等。
担当課名 経済部 観光課 城址公園担当
電話番号 0465-23-1373
演劇「ドレッサー」公演のお知らせ [雑記]
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第二次大戦下のイギリスで、ドイツの空爆に脅かされながら上演を続けるシェイクスピア劇団を舞台とした演劇「ドレッサー」が上演されます。 また、公演に先駆けて、出演者である小田原出身俳優・小宮孝泰さんが、演劇に取り組んでいるかたや関心の高い皆さんのために、ワークショップとトークを行います。トークでは、2004年に文化交流使として滞在したイギリスでの経験などをもとに、名作「ドレッサー」の背景となるお話を中心に語っていただきます。また、ご来場の皆様へのお楽しみとして、小田原高校の「落語研究会」創始者として、また大学でも長年腕を磨いてきた落語を一席披露します。 〈「ドレッサー」小田原公演〉 ■日時 平成22年6月20日(日)14時開演 ■場所 小田原市生涯学習センターけやき ホール ■入場料 全席指定:前売り 3,500円、当日 4,000円 ■チケット取扱 ダイナシティウェストチケットぴあ、伊勢治書店本店(栄町)、平井書店(栄町) ■問い合わせ シャム猫カンパニー 0465-21-1099 (平日11時~17時) 小田原市文化交流課 0465-33-1706(平日8時30分~17時) ※お子様連れの方に、託児もあります(事前申込)。 | ||||
「ドレッサー」小田原公演 公式サイト | ||||
〈ワークショップ〉 ■日時 平成22年5月1日(土)10時30分から13時まで(集合10時15分) ■場所 小田原アリーナ フィットネススタジオ ■講師 小宮孝泰さん ■対象 アマチュア演劇経験者(すでに劇団等で実践されているかた)25名程度 ■持ち物 着替え、タオル ■費用 参加費(資料等)2,000円をご用意ください。 ■申し込み 小田原市文化交流課 電話0465-33-1706(平日8時30分~17時) ■締め切り 4月30日(金) ※定員に達した場合お断りすることがあります。 ※見学のみの参加はできません。 〈トークと落語〉 ■日時 平成22年5月1日(土)14時から15時まで ■場所 小田原アリーナ 研修室 ■テーマ イギリスの演劇事情と演劇「ドレッサー」の背景について ■対象 どなたでも参加できます。 定員60名程度 ■費用 無料 ■申し込み 小田原市文化交流課 電話0465-33-1706(平日8時30分~17時) ■締め切り 4月30日(金) ※席に余裕があれば当日参加もできますが、できるだけ事前にお申し込みください。 | ||||
国立科学博物館 大哺乳類展2 [雑記]
E.T.シートン、W.T.ヨシモト、星野道夫ら動物を愛した3人の仕事なども展示されていました。
シートンは子供のころ、夢中で読んでいたので、そのころを思い出すとともにまた、読んでみようと思いました。
特別展を見たあと、常設展を少しみました。
恐竜の骨格標本は迫力があります。
地球館地下2階の「人類の進化」のところはお気に入りの展示です。
最新の人類学研究の成果が展示されています。
http://shinkan.kahaku.go.jp/floor/b2f_jp.jsp
今回の特別展の主催は国立科学博物館、朝日新聞、TBSと三者となっています。
受付の方にお聞きしたら一日5000人を超える観覧者があるそうです。入場料1400円と高いものの展示の図版やキャプションなどはすべて展示業者に委託し、とてもきれいに展示されています。(図録に丹青社とあった)
受付、場内整理員などスタッフも多く配置されており、それだけお金をかけています。
私が進めている特別展とは○がいくつ違うのでしょうか?
国立科学博物館大哺乳類展 [雑記]
北村透谷石碑 [雑記]
小田原城馬屋曲輪にある「北村透谷」の石碑ですが、
清掃をして測量をやっています。
もともとは八幡山の大久保神社にあったものですが、
昭和29年に現在地に移築されました。
書は島崎藤村、石碑は彫刻家 牧雅雄によるものでしたが、
移築の際にオリジナルは大きく改変されています。
40kids「歌はともだち」 inおでんサミット 小田原城 [雑記]
おでんサミットの会場についたら、ちょうど40kidsが出演するところでした。
知り合いなので、少しみて、聞きながらおでんを食べていました。
彼らのブログです。
http://40kids-official-official.blogspot.com/
近況報告 3/23 [雑記]
昨日午後にようやく馬出門の報告書の最終校正を出しました。
後は印刷所の責任校正でお願いしました。
総頁は302頁となりました。
内容は4次にわたる発掘調査と、2年間の石垣整備工事、
そして2年間の門土塀の建築工事と6年間の整備事業の報告書です。
正直、本当に厳しい状況でしたが、調査員等のスタッフの協力もあり
何とか印刷まで待ちこむことができました。
毎回、感謝 感謝です。
今年は報告書が300頁×2冊、100頁が1冊、
28頁フルカラーの高田・下堀のパンフレット
小田原城整備パンフレットと過去最大の印刷物でした。
象のウメ子の切手 [雑記]
象のウメ子の切手ができましたね。早速、購入しようと思います。
以下は、神奈川新聞から
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1003220022/
人気ゾウ「ウメ子」のオリジナルフレーム切手を販売へ/神奈川県内
タイトルは「ありがとう ウメ子」。ウメ子の一生をつづる12枚の写真が1シートにまとめられており、このうち10枚が80円切手となっている。
満開のサクラの下で鼻を持ち上げて来園者に愛きょうを振りまいたり、水浴びしたりする「小田原のアイドル」の在りし日の姿が郷愁を誘う。タイ生まれのウメ子は1950年から小田原動物園で暮らしていた。
小田原市、南足柄市、横浜市、川崎市などの130局で1500部を販売する。問い合わせは郵便局南関東支社営業本部電話045(228)2537。
近況報告 年度末 [雑記]
この2ヶ月というものは、とても人らしい暮らしとはいえない状態が続いていましたが、
ようやく報告書の最後の入稿も済ませ、少しだけ改善されるのではと思います。
何しろ、連日25時までは原稿を書いていましたので、それから帰宅、メールをチェックしたり、
ブログの更新をしたり、寝るのが遅い日が続いていました。
この間はすべての仕事や役割は放棄していましたのですが、年度末の仕事やら、いくつもの
原稿の仕上げやらが待っているので、まったく楽になるわけではありませんが、少しはまし
になるでしょう。
でも、来週からは校正の嵐が、300頁の校正を一晩ではさすがにできませんよね。
その日は眠れないでしょうね。
がんばれ、〇〇印刷 期限までに間に合うようにお願いします。
失敗 またやってしまった [雑記]
連日その日のうちに帰宅できない状況が続いています。
深夜の帰宅からメールチェック、ブログのアップをしていますが、
一昨日予約投稿していた記事が3月1日にアップされるように設定していました。
今年の目標は毎日更新を目指したいたのですが、早速挫折です。
もっとも、あまり内容のない記事を毎日更新しても何の意味もありませんがね。
最近は安定して訪問される方が多く、大変ありがたいことです。
皆さんに感謝しながら、明日からも、頑張ります。
小田原文学館 [雑記]
先日、打ち合わせで小田原文学館に行ってきました。
久しぶりに行きましたが、落ち着いていて良いところです。
文学館のある西海子(さいかち)通りには小田原有数の桜並木があり、
今年も美しい花が咲くことでしょう。
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/facilities/bungakukan.html
「小田原文学館の建物は、幕末の志士で、
元宮内大臣でもある田中光顕伯爵が別邸として建てたものです。
昭和12年建築の洋館は、当時の上流階級の間で流行した
南欧風の造りで、屋根瓦はスペインから輸入したものです。
庭はいわゆる洋風庭園ですが、要所要所には松を、
周囲には桜や楓を植えるなど和洋折衷の様相を呈し、
四季折々の美しさを堪能できます。」HPより
尾崎一雄邸書斎
白秋童謡館
「白秋童謡館の建物は、
ちょうど白秋が小田原に在住していたころに
元宮内大臣・田中光顕伯爵が建てた住居の別邸だった建物です。
日本庭園に大正モダン調の和風建築がよくマッチしています。」HPより
近況報告 原稿の嵐 [雑記]
今年に入ってから、①甲府での石垣研究会のレジュメと発表、②A書店の原稿執筆と編集、③県考古学会の3月7日のシンポジウムのレジュメ執筆、④小田原での古墳シンポの趣旨説明の原稿執筆、⑤博論の校正、⑥馬出門の報告書執筆と編集と抱えておりました。
すべて、締め切りを過ぎたものばかりで編集者には大変なご迷惑をおかけしましたが、何とか①~④は終わり、残りは⑤と⑥のみになりました。といっても、②と③は、仕事が終わる22時過ぎが土日を利用するしかなく、なかなか進みませんでした。
⑤は、⑥の目処がつくまでは着手できず、最近、信頼のできる方に通読を依頼をしました。
ようやく本丸ともいえる⑥の馬出門の報告書に集中できる環境になりましたが、この報告書は、平成15~18年までの4年間の発掘報告と17・18年と桝形石垣復元工事、19・20年度の門・土塀の復元(建築)工事の報告書で、総頁300頁を予定しています。
報告書は、国庫補助金なので、3月31日までに刊行しなくてはならないのですが、現在まで目処がついていません。発掘は同じところを何度も調査しているため、図面の合成に手間取っており、さらに、石垣工事や門・土塀の工事報告などの取りまとめは、経験がなく戸惑っています。
一晩寝たら、できていないかなぁといつも思いますが・・・、頑張るしかありませんね。
ブログ開設1周年となりました [雑記]
昨年の2月13日にブログを開設してちょうど1周年となりました。
先ほどのカウント数は134973でした。
ブログ開設以前は、2001年頃から、旧石器、クワガタ、中近世、田んぼなど非公開の掲示板を開設し、仲間内で情報交換を行っていましたが、掲示板のサーバーが閉鎖という事態により、これらの掲示板は終わりました。
その後、ミクシィにお誘いいただき、しばらくはそちらで主にクワガタネタを中心に活動していましたが、旧石器や小田原城の情報発信をしていきたいとのことから、こちらのブログ開設となったのでした。
最初は写真のアップもままならなかったのですが、ようやく使い方もある程度わかるようになり、最近は 、他のブログにnice!をつけることを覚え、おかけで訪問される方が一挙に増えました。
最近では、一日の訪問者が300、ページビュー600を超えることもあり、現在のテーマ別ランキングは3位というすばらしい位置についています。
昨年の秋からいくつもの原稿を抱え、更新がままならないという毎日が続いているのですが、一つのネタを何回にも分けて掲載するという姑息な手を使いながら、更新を続けております。
ブログにアップすることで、学会の動向をはじめ、自分の1年間を記録することができ、助かっています。ということで、これからも毎日の更新を目指し、がんばっていきたいと思っています。
1年間のご愛顧、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
焼失した雄山荘 [雑記]
昨年暮の火災は本当にびっくりしました。
10年以上前に、短い時期でしたが「小田原ゆかりの優れた建造物」の担当をしていたこともあり、
この建物の保存を模索していました。
その時は、太宰治の「斜陽」を読み、小説のこの記載は、建物のここの部分だとか、
色々と調べたことを思い出しました。
火災の記事は各社出ていますが、地元記者の方は、これまでの事情を良くご存知だったので色々と助かりました。
火事の後も、多くの方が訪れているようです。
解体・撤去工事も行われたようです。こちらは&Oさんのブログをご覧ください。
http://andokobo.blog73.fc2.com/blog-entry-884.html
また、先日、毎日新聞の澤 支局長だよりとして、記事が掲載されましたので、
こちらに転載させていただきます。
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20100112ddlk14070133000c.html
この件は、書かないつもりでしたが、書いてしまいました。
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支局長だより:太宰ゆかりの雄山荘=澤晴夫・小田原支局長 /神奈川
小田原市が91年に作成したビデオ「小田原古建築の意匠」に、昨年暮れの不審火で全焼した「雄山荘」が紹介されていた。わずか3分の映像は「『斜陽』の舞台になった雄山荘」のナレーションで始まり、「ここで太宰治と太田静子の愛ははかなく燃え、そして消えていきました」で終わっている。
昭和の初期に実業家の別荘として建てられた雄山荘。富士山や相模湾を望む下曽我の高台にある。戦後間もない47年2月21日から5日間滞在した太宰は、静子の日記をもとに「斜陽」執筆の構想を練ったと言われている。
出火直後のくすぶる煙と、きな臭いにおいが立ち込める火災現場で、無残に焼け落ちた姿を目の当たりにした時、「惜しいものを失ってしまった」とつくづく思った。最後の居住者が引っ越していったのは93年。もう15年以上も無人のままだったことになる。目と鼻の先に、あだ討ちで知られる曽我兄弟ゆかりの「城前寺」があり、雄山荘は何度も足を運んだ場所だった。
桐の紋様が彫られた門扉に「門を壊さないで下さい」との張り紙があった。庭のササの葉が道路まではみ出し、荒れ果てた様子が痛ましかった。太宰の没後60年に当たる一昨年6月、太宰をしのぶ「桜桃忌」に合わせて「雄山荘が朽ちかけている」という記事を書いた。雄山荘の現状を伝えたいという思いもあった。
太宰の足跡を残した建物として、地元や全国の太宰ファンから保存を求める要望書が小田原市に提出されたのは93年の11月。城前寺や雄山荘のある一帯は作家・尾崎一雄の旧宅跡や文学碑もあり、歴史や文学の散歩コースとして格好の地でもある。市は雄山荘の保存・公開を検討していたが、所有者との話し合いがつかないまま、最悪の結末を迎えたことになる。
94年に出版された「『斜陽』の家 雄山荘物語」(林和代著、東京新聞出版局)に、作者の実体験に基づいた、こんな一節がある。「難題をつけて迫る地主、ただの傍観者の行政、小手先の修理ではもうどうにもならない家」
「保存して公開する考えはないんですか」。所有者への取材に「これまでのいろいろな経緯から売ることはしない。雄山荘は朽ち果てるのが最善の方法だと思っている」という返事だった。
年が明けて焼け跡に立った時、雄山荘があったこの場所と、ここから見える風景そのものが「斜陽」の舞台なのだという思いを新たにした。
さまざまな行き違いがあったのかもしれない。小さな文学碑でもいい。太宰ゆかりの地を何とか残す手だてはないのだろうか。