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御用米曲輪 毎日新聞の記事 [中近世・城郭]

史跡小田原城跡御用米曲輪で庭園跡検出のニュースです。

http://mainichi.jp/feature/news/20121229ddlk14040188000c.html 

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小田原城跡:発掘調査 曲輪から庭園跡出土 戦国期、城中心の可能性 /神奈川

毎日新聞 2012年12月29日 地方版

御用米曲輪で発見された戦国時代の庭園跡=小田原市城内で
御用米曲輪で発見された戦国時代の庭園跡=小田原市城内で

 小田原城跡「御用米曲輪(くるわ)」(小田原市城内)の発掘調査で、戦国時代の庭園跡が確認された。同曲輪では今夏に小田原北条氏の主殿の一部とみられる「礎石建物跡」が確認されているが、新たに庭園跡が見つかったことで、同曲輪内に戦国期小田原城の中心の一つがあった可能性がさらに高まった。【澤晴夫】

 10年から開始した同曲輪の調査は、江戸時代の米蔵など遺構整備に伴うものだが、主殿級の建物の一部と庭園跡がセットで見つかったことにより、同曲輪の整備方針は見直しを迫られそうだ。

 庭園跡から出土したのは、池に水を引き入れるための石組水路や築山(つきやま)、庭石などで、礎石建物跡と石組水路の軸線がほぼ一致していることも分かった。石組水路には地元の風祭(かざまつり)石や鎌倉石が使われているほか、五輪塔の火輪部分だけを貼り付けた護岸遺構も見つかった。

 調査に当たっている市文化財課は、本丸側の山を借景にした庭園で、福井県にある戦国大名・朝倉氏の一乗谷城「湯殿跡庭園」に類似したものとみている。借景にした山は江戸時代になって崩され、曲輪内の埋め立てに使われたことで、主殿や庭園跡など戦国時代(16世紀中〜後期)の遺構が良好に残存したと見られている。

 今月25日に「史跡小田原城跡調査・整備委員会」(委員長、小和田哲男・静岡大名誉教授)が、庭園跡などの現地視察を行ったが、委員の関心も高く、来年度以降に本格的な戦国期の遺構調査することも検討課題になるとみられる。

 調査が進めば、まだ見つかっていない主殿や庭園の全容が解明される可能性もある。さらに、京都とのつながりが深い戦国大名・北条氏の生活様式や文化水準を知る手がかりにもなりそうだ。


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