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14世紀「板碑」が御用米曲輪で出土 [中近世・城郭]

御用米曲輪の池の置石は板碑でした。4月8日の定例記者会見で発表されました。

神奈川新聞に掲載されましたので、転載します。

http://www.kanaloco.jp/article/69264

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14世紀「板碑」が出土、小田原城址・御用米曲輪の発掘調査

小田原市は8日、国指定史跡・小田原城址公園(同市城内)で進めている「御用米曲輪(くるわ)」の発掘調査で、14世紀に建てられた供養塔の一種「板碑(いたび)」が出土したと発表した。板碑は箱根安山岩製で、市内で確認されたのは5例目。市教育委員会は「小田原城が立地する城山周辺の歴史を知る上で大変重要な成果」としている。

 石は縦約120センチ、横約50センチで厚みは4~14センチ。今年3月、戦国期の池跡の護岸部分から出土した。梵(ぼん)字と「慈父」などの文字が彫られ、父親の三十三回忌供養のものであることが確認された。文字からは供養者の名前は分からないが、「康永元年」(1342年)と記されている。

 石はもともと立てられていたとみられるが、池跡では文字面を下にした状態で置かれていた。市教委文化財課は池の景観をつくるための景石として置かれていたとみている。

 池跡の州浜では昨年、供養塔などの石材を再利用して使われているのが発見されている。同課の担当者は板碑の発見について「戦国時代における供養塔や石造物の使い方をまた一つ考えさせる成果になった」と話している。

 板碑そのものは全国各地で発見されているが、根府川石と考えられる箱根安山岩を利用した中世の板碑はこれまでに市内で4基確認されている。うち3基は市内に現存し市重要文化財に指定されている。残る1基は東京国立博物館に所蔵されている。これらの板碑は、今回のものも含め14世紀前半のわずか20年余りの期間に製作されているという。

 同課は、城山周辺で複数の板碑が出土したことから「鎌倉時代末期から南北朝時代のころの小田原城周辺は、景勝地や交通の要衝となる葬送・供養の場だったのではないか」と想定している。

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【神奈川新聞】

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