天神山遺跡第Ⅲ地点発掘調査見学会報告3/21 [考古学]
3月21日は、旧城内高校敷地の天神山遺跡第Ⅲ地点発掘調査見学会は10時から曇天の中、開催されました。
見学会には、調査を担当した玉川文化財研究所の相原専務をはじめ調査員と大島課長以下市文化財課職員とが対応していました。
旧城内高校入口
参加者は天気と事前告知があまりできていなかったこともあり、約100名ほどが参加でした。
縄文の墓制の研究者として知られる歴博の山田さんがお見えでしたが、他には東海大の北條さんくらいしか見受けられず、研究者や同業者が少なくて残念でした。
市の部長・副部長や大島課長以下職員、調査員とその関係者はかなりの数でしたので、一般の市民の方の参加は少なかったということになります。
見学会は、受付で資料をもらい、本遺跡のこれまでの重複する遺構の概要を聞いた後、調査区に降ります。順路に沿って順番に遺構の説明を聞き、戻ってきて、出土遺物の見学といった感じです。
奈良・平安時代遺構配置図
この地点では、まず、中世・近世は天神山丘陵上の天神山台と清閑邸土塁をつなぐ位置であるにもかかわらず、段切状の遺構と土坑くらいしか確認できなかったようです。
古代は、掘建柱建物が5、住居跡が7、古墳時代は、古墳後期の古墳周溝が3、弥生後期から古墳前期の住居跡が8と縄文時代以外の遺構はそれなりに検出されています。
古墳時代後期(古墳周溝)配置図
弥生時代から古墳時代前期遺構配置図
出土遺物が少なくで評価は難しいのですが、この丘陵上にも弥生から古墳の集落の存在が確認できたことの意味は大きいと考えます。
天神山、八幡山、谷津山の3本の尾根には濃密な弥生から古墳前期の遺跡群が展開してことになり、その集落群を束ねる存在を予測できるもので、その系譜の中に、県立小田原高校敷地内の壺型埴輪が出土した八幡山古墳の存在を位置づけることができるからです。
状況証拠は少しずつ揃ってきました。八幡山古墳以外にも前期古墳があったのでしょうが、残念ながら後世のかく乱、すなわち、戦国期の小田原城築城に伴う大土木工事によって失われたと見るべきなのでしょう。
柄鏡形敷石住居
話がそれましたが、縄文時代は中期から後期の集落が検出されています。今回の調査のメインです。中期は調査区中央に土壙墓群が検出されたことです。土坑は100基以上検出されていますが、その多くが土壙墓であろうと考えられます。ということは、集落の中央部に墓域があり、それを取り囲むように環状に住居が配されていた可能性もあります。
詳しくは、これから大量の出土遺物の洗いから始まる整理作業に期待したいと思います。
縄文草創期の尖頭器や装飾品や土偶の破片も出土
各種土器類
こうした調査の成果は、今年も秋から冬にかけて開催されるであろう、最新出土品展で展示されることでしょうし遺跡調査発表会で報告されることでしょう。
小田原では久しぶりの縄文時代の集落の調査、研究が進展することを祈ります。
諏訪間様
本日はありがとうございました。土坑墓群は、今後の研究の貴重な資料になると思います。
今後ともよろしくお願いします。
by 山田康弘 (2015-03-21 23:20)
山田さん、こちらの書き込み気が付くのが遅れました。
本当に小田原でも貴重な資料だと思います。
引き続き、よろしくお願いします。
by ジュンクワ (2015-03-27 00:50)