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酒匂北川端遺跡の鉄滓 [中近世・城郭]

酒匂北川端遺跡で大量の鉄滓が出土しました。

最新出土品展2009で展示されています。

IMG_0890.JPG

IMG_0891.JPG

出土品展の目玉のひとつです。

毎日新聞からの転載です。

http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20091126ddlk14040294000c.html  

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小田原・酒匂北川端遺跡:1トン超の鉄滓出土 江戸の鍛冶職人リサイクル? /神奈川

 小田原市酒匂の住宅地で、1トンを超す大量の鉄滓(さい)(鉄の精錬過程で出る不純物)が出土した。酒匂地区には江戸時代に鍛冶(かじ)職人の集落があったが「なぜ、これほど多くの鉄滓が1カ所に廃棄されていたのか」と、調査を担当した市文化財課も首をかしげる。鉄滓は27日から同市南鴨宮の市立かもめ図書館で開かれる「最新出土品展」で展示される。【澤晴夫】

 出土したのは酒匂神社近くの「酒匂北川端遺跡」。住宅建設に伴う遺跡発掘調査で、南北3・4メートル、東西2・1メートル、深さ1・2メートルの長方形土坑から見つかった。寛永通宝や陶器などもあり、江戸時代中期の17~18世紀にかけての遺跡と分かった。鉄滓は丸い炉の底にたまっていた「椀形滓」とも呼ばれるもので、総量は1800キログラムにも及ぶと推定されている。

 江戸時代後期に編さんされた「新編相模国風土記稿」には、元禄年間(1688~1704年)に酒匂村から分かれた「酒匂鍛冶分」の存在が記され、職人が住む集落があったことが分かっている。

 市文化財課によると、酒匂は酒匂川や相模湾にも近く製鉄原料の砂鉄が取れたほか、燃料の木材も手に入りやすい場所だったという。農工具などの鉄製品や炉の跡などは周辺で見つかっていないが、大量の鉄滓出土により「近世酒匂の鍛冶集落の実態を示す遺構として重要」と見ている。

 だが、何のためにこれだけ大量の鉄滓が廃棄されたのかは不明だ。埋まっていた土坑は壁面が垂直で、本来は別の目的で作られた半地下式の倉庫だったことも考えられるという。文化財課は「廃棄するのなら掘った穴で十分なはず。リサイクルなど別の目的で保管されていたのではないか」と推測している。

 


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