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平成22年小田原市遺跡調査発表会その1 [考古学]

平成22年12月12日は小田原市遺跡調査発表会に参加しました。

平成10年から13回目の発表会になりますが、今回は初めて一般参加です。

今年は小田原城の植栽管理計画に関する対応に追われて、本来の業務

である遺跡発表会などの準備が疎かになりがちだったのでしょうか、

例年は秋のイベント情報をダイレクトメールでお知らせするのですが、

できなかったようです。

そのためか例年に比べると参加者は少なかったようで、180名の席はまばらでした。

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まずは、開催あいさつに続いて、大島慎一さんによる今回発表となる

平成21年度の発掘調査の概要や重要な調査についての報告がありました。

続いて、それぞれの発表がありました。

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小池聡さんが発表した「酒匂北川端遺跡第Ⅴ地点」では、

弥生時代後期の大規模な溝と大量の土器群が検出され、

これらは遠江から三河の土器が多く含まれています。

これらの土器は「山中式土器」と呼ばれるもので、先日、国史跡になった

綾瀬市神崎遺跡などでは大量に出土しています。

神崎遺跡の成立は、東海西部からの移住が考えられていますが、

小田原でもこのような遺跡が発見されたことは、重要です。

今後、出土土器の分析が課題になります。

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昨年に続いて、木村君も発表です。

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そして、佐々木健策さんによる「小田原城三の丸幸田口跡第Ⅲ地点」の報告です。

ここでは戦国時代の堀が検出され、独楽や弓、鉄砲玉が出土し、注目されました。

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弓は漆塗りのもので「「重藤弓(しげとうゆみ)」と言われる様式で、

木胎を3本合わせて軸とし、四方に竹を張り合わせた「弓胎弓

(ひごゆみ)」」(佐々木2010発表要旨から引用)、全国的にも出土例がないようです。

16世紀中葉から後半に位置づけられる堀からの出土となり、

極めて貴重な出土品となります。

鉄砲玉についても考察が加えれるなど、大変勉強になる発表でした。

そして、もう一つ重要な発表が「おまけ」として、報告されました。

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それは、誌上発表で報告された「小田原城八幡山古郭東曲輪第Ⅱ地点」です。

この場所では、石垣を付随する階段付の道が検出されました。

この石垣は戦国末期に位置づけられそうで、北条氏政が家督を氏直に譲り、

八幡山古郭を城として再整備した際の大手道になるものと考えられることです。

安土城の大手道などを彷彿します。

 

 


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